ミニベロ迷走記

折りたたみ自転車に乗って、輪行やポタリング。さて、どこに向かっているのやら(笑)

茂原掩体壕群〜永井トンネル〜諏訪神社〜坪呂沢隧道〜一宮海岸ぶらり旅

 今日はCarryMeで、ぶらりと千葉を散走してきました。まずは、新茂原駅まで輪行

 茂原は素掘り隧道群が有名ですが、掩体壕(えんたいごう)群も有名です。掩体壕は戦争中に戦闘機を隠した格納庫です。

太平洋戦争開戦直前の昭和16(1941)年9月に、木崎・谷本・町保・新小轡・本小轡等の約150戸の民家や東郷国民学校(現東郷小学校)及び寺社等が強制移転を命じられ、茂原海軍航空基地の建設が始まりました。
 
司令部跡は現萩原小学校、兵舎跡は現茂原中学校、滑走路跡は三井化学(株)東側の約1,000mの道路で、基地の東端は東郷保育所前を通る通称海軍道路と呼ばれている辺りです。基地の北側には誘導路が巡らされ、戦闘機を敵襲から守るための格納施設である掩体壕が造られました。(引用元

 茂原では掩体壕が11基造られ、そのうちの10基が現存しているそうです*1Google Mapを見ながら、新茂原駅に最も近い1号掩体壕へ。私有地の中にあるので、公道から見える範囲で記念撮影。すると、背後から現地のご老人に声をかけられ*2、戦争中のお話を聞かせて頂きました。「飛行機を隠すだけではなく、中に人が住んでいたこともある」というエピソードや、「こんなものがたくさん残っていると、まだ戦争が終わっていない気がする。1つか2つを残して、あとは壊してしまえばいい」と仰っていたのが特に印象的でした。

 茂原市によって保存されているのは、3号掩体壕


 こちらは個人所有だと思いますが、2号掩体壕も比較的見やすい場所にあります。


 それ以外の掩体壕に関しては、多くの場合、公道から見やすい角度を求めて、敷地の周りを一周することになります(笑) 以下、掩体壕の写真をいくつか。





 さて、掩体壕をお腹いっぱいに満喫したら、茂原駅近くの市役所へ。実は、今日ここまでやって来たのは、市役所で『写真でみる もばら風土記』を購入するためです。9階の生涯学習課で、現物を見ることができます(品切れの巻もありますが)


 私は、『No.17 茂原市のトンネル』(300円)と『No.26 掩体壕が語る茂原の歴史』(500円)を購入*3。『No.6 茂原地方の地層』と『No.19 道の履歴』も面白そうだったので、何かのきっかけがあったら、そのあたりを買いたいです。

 本日最大の目的を果たしたので、あとは適当に、これまで気になっていたスポットを巡ります。とりあえず、南総広域農道を南下して、永井トンネル(跡)へ。現存する「第二永井トンネル」ではなく、すでに廃止された「永井トンネル」です。位置としては、広域農道から第二永井トンネルに向かう分岐の脇にある廃道区間にあります*4

 すぐに行き止まりですが、怯むことなく、藪まみれの斜面を登ります。

 すると、目の前に扁額が現れます。坑門を埋め立てられているがゆえに、扁額に触れられるのです(笑)


 なお、反対側にも同様の廃道区間があり、同様の扁額を見ることができます(扁額の写真は割愛)

 次は、睦沢町諏訪神社へ。

 ここに来た目的は、「瞳のトンネル」と呼ばれる隧道です。ニーチェの格言をもじって、「隧道を覗くとき、隧道もまたこちらを覗いているのだ」とでも言いたくなるような佇まいですね。


 この「瞳」の中にCarryMeを置いてみると、異世界から転生してきたかのような神々しさ(笑)

 裏側から見ると、こんな感じです。

 ここでお腹が空いたので、すぐ近くの道の駅むつざわレストランでランチを食べることにします。何を食べようかと思案した結果、「たまには千葉らしいものを食べよう」と、「落花生を使用したジュノベーゼピザ」を注文。セットサラダのドレッシングも落花生だったことに少し驚きましたが、美味しく頂きました。


 食後は、未成道(素掘りではない普通の)隧道を巡ったり一部界隈で有名な廃墟の写真を撮ったりしましたが、まるっと割愛(笑) そして、一宮町東浪見駅近くの洞庭湖方面に向かいます。どことなく道が怪しくなってきた気がしますが、全く問題なし。

 やはりと言うべきか、グラベルになりましたね(苦笑) でも、これくらいなら問題なし。

 グラベル区間を突破し、洞庭湖の北側の道から怪しげな町道に入ると*5、行く手が藪に閉ざされています(お約束) この記事によると、1995年時点で既に廃道で、2009年時点で前後の道が藪となっていて、2014年時点で入口に「通行止」の掲示が設置されていたものの、2019年頃には掲示が地面に落ちていたそうです。2023年の現在は、その掲示の跡形すらありません。「通行止」の掲示が消えてなくなるほどの月日が流れ、知らなければ道があると分からない状態になってこそ、一人前の廃道ですね*6。知らんけど(笑)

 もう4月なので、あまり藪漕ぎをしたくないのですが*7、致し方ありません(何が?/笑) フード付きのウィンドブレーカーを羽織って肌の大半を隠し、右手にライト、左手に塩のボトル(ヒル対策)を持って、藪の中をバキバキと進んでいきます。それなりに倒木もありましたが、慣れているので問題なし。5分ほどで、お目当ての坪呂沢隧道(別名: 松子隧道)と対面。

 この手の隧道としては大きめで、造形も美しいです。内部は(若干崩落した痕跡があるものの)全体的には綺麗で、コウモリや虫などもいませんでした。

 ライトをつけて反対側に抜けると、こちら側にも倒木が折り重なっていましたが、事前情報ほど酷くないです。今回は西側の藪の入口にCarryMeを置いてきてしまったので、このまま東側に抜けることはしませんが、その気になれば担ぎで突破できましたね。


 私の目的は廃隧道の鑑賞であって、廃道の完全踏破ではないので、素直に西側に引き返して、CarryMeを回収。その後、一般道を経由して、東側の入口だけ見に行きました。東側の方が隧道までの距離がありますが、道の入口は非常に分かりやすいです*8

 ヒルや蛇に襲われることなく藪から脱出したので、近くの風船爆弾打ち上げ基地跡に立ち寄りましょう。ここは、たまたま昨日Twitterで教えてもらった場所。高校生の頃に登戸研究所について調べたことがあるので、個人的には非常に興味深いです。

 はるばると外房まで来たので、一宮海岸にも寄ってきます。強風が吹いていましたが、景色は良かったです。


 最後は茂原市まで戻って、茂原駅から輪行で帰りました。今回の走行距離と獲得標高は、測っていません。

 なお、今回の旅にあたって、特に参考になったウェブサイトは、以下のとおりです。

*1:後述の『掩体壕が語る茂原の歴史』より。

*2:なぜか「自転車と一緒に写真を撮る発想が素晴らしい」と何度も褒められました(笑)

*3:値段が違うのは、新しい巻がカラーの大判だからそうです。

*4:この廃道は、Google衛星写真にも写っています。

*5:完全に私道に見える道ですが、町道であることは確認済みです。

*6:なお、この道は、現在も国土地理院の地形図に描かれています。

*7:もうヒルや蛇が出る季節です。

*8:勘の良い人であれば、(地形図ではなく)Google Mapを見るだけで入口が分かるでしょう。